真清田神社ツアー⛩

今回の神社は

12月12日(水)

午前10時 現地集合

愛知県一宮市の

真清田神社

ますみだじんじゃ

地名が 一宮市なので、勿論、一ノ宮です。

 

真清田神社の祭神についてですが、ここには少し謎があります。

まずは 現在の祭神とされる

天火明命

あめのほあかりのみこと

天火明命はアメノオシホミミとヨロヅハタトヨアキツシヒメ

との間に生まれた神様で

天照大御神の孫です。

その天火明命ですが、

かつては国常立尊祭神説や大己貴命祭神説など複数説が存在していました。

初めての神と言われている

国常立尊

くにのとこたちのみこと

は『古縁起』で崇神天皇の時に勧請して祀ったとする説。

国造りの神、大国主こと

大己貴命

おおなむちのみこと

は『大日本国一宮記』に見える説。

さらに

天火明命と同一視される神が

饒速日命

ニギハヤヒノミコト

は『先代旧事本紀』では饒速日命と同一視される。

歴史的には、中世末期から江戸時代までは国常立尊祭神説が主流で、

明治の時点での祭神は

 

国常立尊

天照大御神

月夜見神

大己貴神

大竜王神

の5柱となっていた。

ここでは大竜王までいます。。

しかし『特選神名牒』において「天照大御神」が

「天火明命(天照国照彦天火明尊)」の誤記と見なされ、

かつ他の4柱が省略され、天火明命1柱とされた関係で、

以後は現在まで天火明命1柱説が採用されているという流れなのです。

とうことは 天火明命だけではなく、

沢山の神様がいるかもしれないのです。

この辺りを背景として、実際に真清田神社に行って、

それぞれに感じてみるのも 面白いと思います。

「いろいろな神様がいるかもしれないんだよねー、

 でも 私は全然感じないから わかんないや」

という感じでいいのです。

 

ポイントは そんな歴史があったんだと認識して

参拝することなのです。

さらに 真清田神社のホームページより

鎮座する一宮市は、古くは木曽川の流域に沿っていました。

流域は常に文化の形成に大きな役割を果たします。

一宮の発展にも、木曽川の恩恵があります。

 

今でこそ、繊維の街として有名ですが、

もともとこの地域は、

木曽川のかんがい用水による水田地帯として、

清く澄んだ水によって水田を形成していたため、

真清田(ますみだ)と名付けられたといわれています。

 

鎌倉時代には、順徳天皇は当社を崇敬され、

多数の舞楽面をご奉納になりました。

 

その舞楽面は、現在も、

重要文化財として当社に保存されています。

 

江戸時代には、徳川幕府は神領として、朱印領333石を奉りました。

また、尾張藩主徳川義直は、

寛永8年(1631)当社の大修理を行う等、崇敬を篤くしました。

 

明治18年には国幣小社、大正3年に国幣中社に列し、

皇室国家から厚待遇を受けました。

尚「一宮市」の名称も当社が尾張国一宮であることに由来しており、

全国で「一宮」の名称を冠する自治体は1市6町に及びますが、

市制のひかれている自治体は当社の鎮まります一宮市のみとなります。

 

 

となっています。

ここで、今年の神社ツアーのもう一つのキーワードに

「徳川家」があります。

ピンクのネクタイが爽やかだねーって

それ 中川家な。。

 

 

真清田神社も徳川家とのご縁が深いということで

やはり何か意味があるのだろうと感じています。

また、岐阜城が建つ、金華山が祖山とされていて、

真清田神社は 山と水の気が集中する場所でもあるそうです。

金華山は昇龍のエネルギーなので、

真清田神社の龍神伝説も繋がります。

平安時代、弘法大師が雨乞いを祈願した際、

ご祭神が八頭八尾の大きな龍に乗って現れ雨を降らせ、

以来『水神』として崇拝されたという伝承が残っています。

江戸時代には、尾張藩主も晴雨祈願を行っていました。

境内には、その龍神が鎮まったらしい大きな神池があります。

そのほとりには、弘法大師が召喚した龍神様を祀った祠もあります。

なんだか ワクワクしてきますね。

 

ご利益は
開拓、農耕や織物業守護の神様で

・精神力強化

・物事が良い方へ向かう

・現実に即した願いが叶う

・地位の向上

・自発的に行動できるようになる

・忍耐力がつく

・心身が強くなる

 

などです。

今のあなたにピッタリの神社ツアーですね。

参加費は無料です。

申込みは こちら

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