【2023年5月の神社ツアー⛩は再チャレンジ】

日時: 2023年5月22日 終日

【2023年5月の神社ツアー⛩も神津島(こうづしま)】 2023年5月の神社ツアーは4月と同じ行き先です。 理由は、4月のツアー当日、強風だった為、船が全便欠航して 神津島に行けなかった為です。 よって、今月、再チャレンジします!       日時 2023年5月22日(月) 午後0時30分    集合   【物忌奈命神社】 ものいみなのみことじんじゃ         〒100-0601 東京都神津島村38   参加費無料       【御祭神】 物忌奈命(ものいみなのみこと) 三島大社で祀られている、事代主命(ことしろぬしのみこと)様 と阿波命神社(長浜神社)で祀られている、 阿波命(あわのみこと)様との 長男にあたる方で、父親の事代主命様は、 出雲の神話「国譲り」でも登場します。 【由緒】 927年に略完成した延喜式神名帳に掲載された式内・名神大社です。 当社ご祭神の母神を奉る阿波命神社と共に 現在の部下に於いて名神大社は当地の二社のみです。 毎年8月2日の例大祭には重要無形民俗文化財に指定された 「神津島のかつお釣り神事」がとりおこなわれております。 毎年8月1~2日に例大祭が行われ、 2日の午後には国の無形文化財に指定されている 「かつお釣り神事」が境内にて行われます。   ホームページより 申込みはこちら!

【2023年4月の神社ツアー⛩は神津島】

日時: 2023年4月17日 @ 12:30 PM – 3:30 PM

【2023年4月の神社ツアー⛩は神津島(こうずしま)】 日時 2023年4月17日(月) 午後0時30分    集合   【物忌奈命神社】 ものいみなのみことじんじゃ         〒100-0601 東京都神津島村38   参加費無料       【御祭神】 物忌奈命(ものいみなのみこと) 三島大社で祀られている、事代主命(ことしろぬしのみこと)様 と阿波命神社(長浜神社)で祀られている、 阿波命(あわのみこと)様との 長男にあたる方で、父親の事代主命様は、 出雲の神話「国譲り」でも登場します。 【由緒】 927年に略完成した延喜式神名帳に掲載された式内・名神大社です。 当社ご祭神の母神を奉る阿波命神社と共に 現在の部下に於いて名神大社は当地の二社のみです。 毎年8月2日の例大祭には重要無形民俗文化財に指定された 「神津島のかつお釣り神事」がとりおこなわれております。 毎年8月1~2日に例大祭が行われ、 2日の午後には国の無形文化財に指定されている 「かつお釣り神事」が境内にて行われます。   ホームページより 申込みはこちら!  

【2023年3月の神社ツアーは玉置神社⛩】

日時: 2023年3月28日 @ 10:00 AM – 2:00 PM

【2023年3月の神社ツアーは玉置神社⛩】 日時 2023年3月28日(火) 午前10時    玉置神社駐車場 集合   【玉置神社】 たまきじんじゃ         〒647-1582 奈良県吉野郡十津川村玉置川1   参加費無料       【御祭神】 国常立尊(くにとこたちのみこと) 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉冊尊(いざなみのみこと) 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと) 摂社・三柱神社御祭神 倉稲魂神(うがのみたまのかみ) 天御柱神(あめのみはしらのかみ) 国御柱神 (くにのみはしらのかみ)   末社・玉石社 大巳貴命 (おおなむぢのみこと) 【由緒】   玉置山の頂上近く、標高1000m付近に鎮座する玉置神社は、 第十代崇神天皇の時代に王城火防鎮護と悪神退散のため、 創建されたと伝えられています。   玉置神社境内に古くより鎮座されております三柱神社については謎が多く、  まず「摂社」とは本社に付属し、 本社に縁の深い神様や特別の由緒がある神様をお祀りした神社を指します。 三柱神社の神様は倉稲魂神(うがのみたまのかみ)・天御柱神(あめのみはしらのかみ) ・国御柱神(くにのみはしらのかみ)の三柱と伝わります。 この倉稲魂神は京都府の伏見稲荷大社で農業や商売繁盛などの神様として、 また天御柱神・国御柱神は奈良県生駒郡の龍田大社で風を司る神様として お祀りをされていることで知られます。 三柱神社は別名「稲荷社(いなりしゃ)」とも呼ばれますが、 稲荷信仰が盛んになる前から地主神(じぬしのかみ)としてお祀りをされており、 厄除けや心願成就さらに精神の病(ノイローゼなど) また海上安全にも特別の霊験があるとされています。   古代、神武東征以前から熊野磐座信仰の一つとして崇められてきた玉石は、 玉置神社本殿と玉置山頂上中程に鎮座します。 社殿がなくご神体の玉石に礼拝する古代の信仰様式を残しています。 玉置神社の基となったのが、この玉石社と伝えられ、 玉石に宝珠や神宝を 鎮めて祈願したと伝わっています。 大峯修験道では、玉石社を聖地と崇め、本殿に先んじて礼拝するのが習わしと なっています。   当日は山を歩きますので、歩くやすい服装でお越しください。 また、昼食もお昼には食べられない可能性が高いので、 食べ物を持参されることをお勧めします。 申込みはこちら!  

【2月の神社ツアー⛩は金刀比羅宮(香川県)

日時: 2023年2月28日 @ 9:00 AM – 12:00 PM
場所: 金刀比羅宮, 日本、香川県仲多度郡琴平町

【2023年2月の神社ツアーは金刀比羅宮⛩】 日時 2023年2月28日(火) 午前9時    松尾寺集合 (こんぴらさん駐車場近く)   【金刀比羅宮】 ことひらぐう     〒766-8501 香川県仲多度郡琴平町892−1    参加費無料       【御祭神】 大物主神 崇徳天皇     【由緒】   金刀比羅宮は、香川県 琴平町の象頭山に鎮座する神社です。 御祭神は、大物主神と崇徳天皇です。 古来から農業・殖産・医薬・海上守護の神 として信仰されています。 境内では、神様に奉仕する神職・巫女が一年を通して 様々な祭典・神事を行っています。 御本宮の金幣、「幸福の黄色いお守り」、例大祭の「お頭人様」、 書院(重要文化財)の円山応挙の障壁画、蹴鞠(県無形民俗文化財)、 門前町から御本宮までの785段の石段、「こんぴら狗」などが有名です。 石段1,368段目の山中には、 金刀比羅本教の教祖である厳魂彦命をお祭りする 厳魂神社(奥社)が鎮座します。 〝こんぴらさん〟の名で親しまれている金刀比羅宮(ことひらぐう) の御本宮は、琴平山(別名「象頭山」)の中腹に鎮まります。 小西可春編「玉藻集(たまもしゅう)」七巻本〔延宝5年(1677)〕 の「讃陽名所物産記 第二」には「此山に鎮座三千歳に及と云々。」 とあります。 「金毘羅山名所圖會」〔文化年間(1804-1818)〕には 「金毘羅大権現當山に御鎮座事は、遠く神代よりの事にして、 幾百萬年といふ事をしらす。」とあります。 初め大物主神を祀(まつ)り、往古は〝琴平神社〟と称しました。 中古、本地垂迹説(ほんちすいじゃくせつ)の影響を受け、 「金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)」と改称し、 永万元年(1165)に相殿に崇徳天皇を合祀しました。 大物主神は、天照大御神(あまてらすおおみかみ)の弟、 建速素盞嗚命(たけはやすさのおのみこと)の子、 大国主神の和魂神(にぎみたまのかみ)で、 農業・殖産・医薬・海上守護など広汎な神徳を持つ神様 として全国の人々の厚い信仰を集めています。 「神代の琴平山」〔琴陵光熈、金刀比羅宮社務所文事課、 昭和16年(1941)〕によると、「神代の昔琴平附近は海岸で、 今の琴平の地は良い港であつた。 それ故 大物主大神(大國主神) が國土御經營に當り此良地勢を利用せられ山上に行宮を造らせ給ひ、 之を策源の中心として表日本を御經營遊ばされたのである。 其行宮の蹟に神靈を鎭祭し奉つたのが即ち金刀比羅宮である。」 との伝説があります。 つまり、当時、琴平山は瀬戸内海に浮かぶ島であり、 そこに大物主神は行宮を造られたのです。 その行宮跡に大物主神を奉斎したと伝えられています。 現在も、琴平山の鬱蒼とした樹林の各所には、 往古の遺跡と思われる場所があり、 境内のそこかしこで大物主神のご偉業が偲ばれます。 また、そのような謂れもあり、今もなお 〝海の神様〟として広く親しまれています。 崇徳天皇〔元永2年-長寛2年(1119-1164)〕は、 第75代天皇〔在位 保安4年-永治元年(1123-1141)〕 です。諱(いみな)は顕仁です。 保元の乱〔保元元年(1156)〕の後に讃岐国 (現在の香川県)にて金毘羅大権現を崇敬し、 境内の「古籠所」に参籠されました。 また、その附近の「御所之尾」を行宮にされた、 と伝えられています。 讃岐国にて崩御された翌年の永万元年(1165)、 金毘羅大権現は象頭山(=琴平山)に神霊を迎えて、 御本社相殿に「崇徳天皇」として奉斎しました。 崇徳天皇の神霊を奉斎してからの金毘羅大権現の神威は、 以前にも増して輝き渡りました。 近世、〝こんぴらさん〟の神威は益々著しく、 江戸時代中頃の桃園天皇の御代、宝暦3年(1753)12月、 金毘羅大権現を勅願所とすることが仰せ出され、 同10年(1760)5月、日本一社の綸旨(りんじ)を賜わり、 明治初年(1868)に至るまで毎年春秋の2回、 禁中より御撫物(おなでもの)が別当に下賜され、 宝祚悠久(ほうそゆうきゅう)を祈願していました。 このように金毘羅大権現は歴朝の尊崇を受け、 また、諸国の大名武将から一般庶民に至るまで広く信仰され、 全国的な航路の発展とともに航海者の信心を集め、 全国に勧請(かんじょう)されて金毘羅講が各地におこり、 その神徳はいよいよ高まりました。 明治元年(1868)、神仏混淆(しんぶつこんこう)が廃止され、 金毘羅大権現は元の琴平神社に復り、同年7月に宮号を仰せられて 「金刀比羅宮」と改称し、現在に至っています。 ホームページより   また、金刀比羅宮のあとも移動します。 同行希望の方はご連絡ください。     申込みはこちら! […]

【2023年1月の神社ツアーは事任八幡宮⛩】

日時: 2023年1月24日 @ 9:00 AM – 12:00 PM
場所: 事任八幡宮, 日本、〒436-0004 静岡県掛川市八坂642

【2023年1月の神社ツアーは事任八幡宮⛩】 日時 2023年1月24日(火) 午前9時    駐車場集合 (カフェ七夢前)   【事任八幡宮】 ことのままはちまんぐう     〒436-0004  静岡県掛川市八坂642   参加費無料     旧東海道沿いの、日坂宿および小夜の中山の西の入口、宮村にある。 当社と諏訪大社、特に下社春宮(長野県諏訪郡下諏訪町)、 および修験道場として名高い戸隠山(長野県長野市)は、ほぼ南北一直線上にある。 主祭神 己等乃麻知媛命 (ことのまちひめのみこと)   興台産霊神の妻神で、天児屋命の母。   【歴史】 創建時期は定かではないが、社伝では成務天皇の治世としている。 古くは真知乃神(まちのかみ)、任事神社(ままのことじんじゃ)などと呼ばれ、 『延喜式神名帳』には「己等乃麻知神社」と記載されている。   大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征の折、桓武天皇の勅命によって、 それまで鎮座していたすぐ北側の本宮山から現在地へ遷座させたと伝えられる。   平安時代後期に八幡信仰が広まると、康平5年(1062年)、 源頼義が石清水八幡宮から八幡神を勧請し、 日坂八幡宮(にっさかはちまんぐう)や 八幡神社(はちまんじんじゃ)とも称されるようになった。   東海道沿いにあって、難所であった小夜の中山の西側の麓にあたることや、 「ことのまま」の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つことから、 多くの人が旅の安全や願い事成就を祈るため立ち寄り、 また江戸幕府も朱印高百石余りを献上するなど崇敬を集めた。   また古くから多くの書物がこの社のことを記しており、 平安時代には清少納言の「枕草子」や多くの和歌、 鎌倉時代には吾妻鏡、江戸時代には十返舎一九の「東海道中膝栗毛」 などに「願い事が叶う神社」として登場している。 明治以降は県社に列し、単に八幡神社と称した。第二次大戦後に 「ことのまま」の名を復活させ、事任八幡宮とした。   ウィキより   ということで 1月は願いが叶う神社へ!   申込みはこちら!  

【新春 伊奈利ミッション発動!】

日時: 2023年1月9日 @ 10:00 PM – 10:30 PM

新春 伊奈利 開運 ご縁繋ぎ   『イナリミッション』発動! あけましておめでとうございます。 2023年もよろしくお願い致します。 毎年、新春企画を開催していますが、勿論、今年もやります! 今年があなたにとって素晴らしい年になるように、企画を温めていました。 今年の企画は、開運だけではなく、楽しさの要素も入れて しかも、どんでもないパワーを秘めた存在とご縁を繋いできています。 申込みはこちら! 今回の企画では、まずは伏見稲荷について知って頂いた方が 理解が早いので読んで下さい。 ⇩ 【稲荷神社の総本山・伏見稲荷大社】   古代氏族の秦氏(はたうじ)の氏神。   秦氏は新羅(朝鮮)から渡来した集団で、当時の日本からすると 卓越した技術を持つ技術者の集まりでした。   秦氏は、日本に須恵器(陶質土器)や養蚕・機織りの技術、酒造に医療技術、 そして優れたタタラ製法(製鉄)など様々な技術をもたらします。   その秦氏の氏神が伏見稲荷大社で、 主祭神が宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)です。 伏見稲荷大社はもともと「伊奈利(いなり)社」と呼ばれていたそうで、 『山城国風土記』にはその起源がこう記されているそうです。 秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐのはたのきみ)は裕福な一族でした。   その事を自慢し伊呂具はいつも偉そうにしていました。   そんなある日の事、伊呂具が餅を的にして矢を射ったところ、 その餅は白鳥になって飛び去り山頂に降り立ちました。   すると不思議な事にその地に稲が生えてきました。   それからというもの伊呂具の家運は傾き始め、 伊呂具はこれまでの傲慢な自分を深く反省し、稲が生えた地に 「伊弥奈利(=稲成り)」の神社を祀りました。 更に「伊奈利(いなり)社」を「稲荷」と記すようにしたのは 空海という説もあります。 また、東寺真言宗の東寺の造営に苦心していた空海に、伏見稲荷が加勢したことで、 事は順調に運び、これ以降、東寺の鎮護神として 現在でも伏見稲荷大社と東寺とは深い関係が保たれているそうです。 ちなみに東寺は平安遷都とともに建立された、国立の寺院です。   つまり   国を護るお寺(東寺)を護ったのが伏見稲荷なんです。 【狐とイナリについて】 古代には「春に山の神が里に降りてきて田の神となり、 秋に収穫が終ると山に帰る」という信仰があったそうで、 狐には山と里を行き来するという習性があった為、 狐を「田の神様」として扱っていたのが、 後に狐が稲荷の使いとされる。 宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)の別名が 御饌津神(みけつかみ)であり、みけつの「けつ」が 狐の古名「けつ」に想起され、「三狐神」となった。 伏見稲荷には夫婦の狐を祀った社もあります。 それが、命婦神(みょうぶしん)です。 命婦神は空海さんの弟子の書いた書物『稲荷流記』に出てきます。 その内容は、 平安初期の弘仁年間(810~24)に平安京の北郊・船岡山 の麓に棲む年老いた白狐の夫婦がおりました。 この狐夫婦はとても善良な狐で、 いつも世の為人の為に尽くしたいと願っていました。 ですが獣の身であり、その願いを果たす事は出来ないでいました。 そんなある日の事、狐の老夫婦は五匹の子狐を伴って稲荷山に参拝します。 そしてこうお祈りをしました。 「本日より御社の眷属となり、神のお力を以てこの願いを果たしてください」 すると社が大きな音を立て、稲荷神の御神託が下りました。 「あなた達の願いを聞き入れました。只今よりこの社の仕者となり、 参詣者や同じ信念を持つの仲間たちを助け、慈愛の心を以て接しなさい」 それからというもの狐の老夫婦は稲荷山に移り住み、 信者の前に直接、あるいは夢の中などに間接的に姿を現して人々を導くようになり、 人々の間で「告狐(つげぎつね)」と呼ばれるようになりました。 ちなみに夫狐は小薄(おすすき)、 妻狐は阿古町(あこまち)という名前を稲荷神から授けられたのだとか。 はじめ、この夫婦は稲荷社の上社(一ノ峯)に夫狐、 下社(三ノ峯)妻狐が仕えるようになっていたのだそうです。 が、その後の明応年間(1492~1501)に書かれた『遷宮記』によりますと、 稲荷社の上社には夫狐、中社には黒烏(くろを)、 下社には妻狐がを祀った末社があったとあるそうです。 更に妻狐の下社が移動となり現在の白狐社 (祭神 命婦専女神(みょうぶとうめのかみ))になったそうです。 この老狐夫婦が元居た船岡山には建勲(けんくん)神社があり、 その中にある稲荷命婦元宮は伏見稲荷大社命婦社の 親神「船岡山の霊狐」を祀っているそうです。 建勲神社は明治時代に作られた神社ですが、 末社の義照稲荷社や稲荷命婦元宮は秦氏の守護神として 古くからこの地にあったそうです。 【八幡神社も秦氏が】 秦氏は、3~4世紀頃に新羅(朝鮮)から渡来したと言われていますが、 まず福岡に上陸し、宇佐八幡宮の元宮である矢幡八幡宮を創建します。 なんと全国 約25,000社ある八幡神社も秦氏 ちなみに 宇佐神宮、石清水八幡宮、筥崎宮の三社が日本三大八幡宮とされる。 そして イナリ神社に関しては、 全国 約30,000社 あり、小さなお社を入れると 膨大な数になり握握できないくらいである。 全国神社数の1位がイナリ社、2位が八幡社で なんと、秦氏は全国の神社の半数以上を占めているのです。 ということで、イナリの凄さをご理解頂けたかと思います。 そして、私の2022年の動きは、まさに、八幡神の足跡を辿る動きでした。 […]