明治維新後、所在不明とされた丹生川上神社の
研究調査が行われました。調査では、明治4年
(1871)に丹生村(現在の下市町)、続いて
明治29年(1896)には川上村の神社が有力視され、
それぞれ官幣大社丹生川上神社下社・上社とされました。
しかし、大正11年(1922)当村出身の森口奈良吉翁による
「蟻通神社こそが丹生川上神社である」と定義した
研究調査が認められ、当社が官幣大社丹生川上神社に
列格され、通称「中社」と位置づけられました。
ここに従来の二社に当社を加え、ひとつの
「官幣大社丹生川上神社」となりました。そこで
「官幣大社丹生川上神社」の社務所を当社に移して、
下社・上社を統括して祭務を行なってきましたが、
戦後神社制度の変遷によって三社は独立。
当社は「丹生川上神社」と登記され、それぞれの社名を
もって別々の神社となりましたが、氏子の気持ちに
寄り添い、三社あわせて「丹生川上神社」として
今日に至っています。
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